1記事5分縛りで書くブログ

どんなにいい記事になる予感がしても、5分で書き上げるブログ

カステラの下の紙を食べてしまうのは僕だけではないはずだ

カステラの下の紙、あれ何であるんですかね。

絶対要らないと思うんですよ。何か製造上とか流通上の都合とか色々あるんでしょうけど、現代の技術を使えば絶対無くせると思うんですよ。

っていうかね、僕はあの紙食べてしまうんですよ。うっかり。

何がムカつくって、カステラの紙ってあるんだかないんだかよく分からないでしょ。元は白い紙なのがカステラの黒いところと一緒にいる内に黒くなってるのか、それとも元から黒い紙なのかは知らないですけど、とにかくカステラの黒いところと同化してるんですよ。

同化してるから、てっきり紙なんてないと思って食べちゃうんですよ。口の中にボロボロの食感が残った時に初めて気づくんですよ。あ、俺紙ごといっちゃったな、って。ヤギかな、って。ホント同化しないで欲しい。

あと腹立つことに、肉まんとかもそうでしょ。肉まんにも白い紙が貼ってあって肉まんと同化してるから、一緒に食べちゃうんですよ。黒い紙貼ってくれればいいのに。

 

よくエンジニアの人は「ミスをするのは人間が悪いのではない。システムが悪いのだ」みたいなこと言いますけど、ホントこの場合も紙を食べてしまった僕が悪いんじゃなくて、カステラに紙がついているというシステムが悪いと思うんですよ。もっと言えば保護色で同化しているのが悪いと思うんですよ。

 

何が言いたいかって言えば、僕はカステラが好きなので

(5分経過で終了)

 

思いは文章にしないと消えていくよな、という話

僕は結構色んな企画を同時進行でやっている。

忙しい日々に追われている内に、3ヶ月まえに立案したイベントをやるのが面倒になってしまうことがよくある。

「なんでこれ、やりたいと思ったんだろう?」と薄々感じつつ、それでも世に出してしまった以上、形にしなければならないので、必死に実行までこぎつける。

 

そういう時はたいてい、良い物はできない。

大してやりたくもないことを義務感だけでやり続けても、面白くならない。

 

多分、立案した時には熱い思いがあったのだ。「どうしてもこれがやりたい!!」という気持ちがあったのだ。

でもそれをどこにもアウトプットとして保存しないまま時間が過ぎてしまうと、自分の中からその熱い思いはすっかり失われて、ただの義務だけが残る。

 

これはイベンターとして最悪なことで、でも僕が何度かやってしまった失敗でもある。

なぜそれをやりたいのか?どんな熱い気持ちをもって向かっていくのか?

 

それをしっかり書き留めて置かなければならいと強く感じた。

ブログでも良いし、ブログに書くのがはばかられる私的な内容ならば、メモ書きでも良い。ボイスメッセージでも良い。

しっかり残しておこう。それがいい企画を作るコツなのだろう。

打ち合わせが楽しい、という感覚を大事にしたい

僕は意味のない会議や打ち合わせが本当に嫌いだ。

一方、自分の好きなことを、好きな人達と話し合っているときは、めちゃくちゃ楽しい。

 

つい先程まで、二時間ほどの打ち合わせをこなしていた。僕が運営するコテージなかどまりのこれからの販売戦略について、現地に行ってもらうスタッフと話していた。

SEO的な話とか、他の媒体とのコラボについて深く話した。

Airbnbにも出して露出増やそう!」とか「この単語で検索一位取れそうだよね!」とかそんな話をした。

 

彼と新しいことをガンガン仕掛けていく予定である。

経営戦略の立案とか、面白そうなこと探しとか、自由度が高いものは全部面白い。

ただの情報共有やすり合わせの打ち合わせは要らない。

僕は前者の面白い打ち合わせしかしないで生きていきたいし、フリーランスになったおかげでそれに近い生き方ができそうだ。

 

これから、コテージなかどまりは現地スタッフが入れ替わって新体制になり、どんどん面白くなっていく。

僕が関わる時間はより短くなるが、コテージ自体は彼の立案でより面白くなる。楽しみだ。

カーテンを開けっ放しで起きる朝

本日は朝イチで打ち合わせがあったので、珍しく朝早く起きた。

起き抜けにいきなり違和感。何かと思えば、部屋の明るさだ。カーテン全開のままで寝ていたらしい。

昨日、家に帰るや否や力尽きて寝てしまい、カーテンを閉めていなかった。

 

そこで思うのは、カーテンって贅沢品なんだろうな、ということだ。お金的にも精神的にも、だ。

 

カーテンなんて無くても(朝多少明るいという弊害はあるが)全く問題なく眠れるし、実際閉め忘れた今日は爆睡だった。

必需品でない、という意味で、カーテンは贅沢品だ。買うのにお金がかかるし、閉めるのに時間がかかる。贅沢品。

 

話はずれるが、そういえば僕はカーテンを止めるために「くるっ」とする細長い布が苦手だ。

あの布の必要性がよく分からない。カーテンなんて両端にそのまま泳がせておけばいいだろうに、なぜあの細長い布できっちり留めないといけないのだろう。

あの細長い布を必要とする人間って何らかの強迫観念にかられている人間なんじゃ

 

「凄い同い年」には本当に焦る

「予備校なんてぶっ潰そうぜ」という名著がある。

僕が大学3年の時に初めて読んだ。マナビーという教育サービスを作った東大生の自伝的な本だ。

圧倒的に面白い。文章の上手さが圧倒的だ。

「鬼気迫る」という表現がぴったりで、仲間が離れていく痛みや、資金繰りへの苦しみが凄まじい迫力を伴って胸に迫ってくる。

 

この本、昨日読み返していたら著者の花房は24のときにこの本を書いていた。今の僕と同い年だ。

彼は24にしてこの本が書けたのだ。

昨日の夜、25時を回ったころ、僕はその事実に気づき、激しく焦った。

「僕はこの本を書けるだろうか?書けるはずがない。僕は彼に比べて、何も成し遂げていない」

そんな焦りと、一歩でも前に進みたい気持ちがあって、昨晩は寝られなくなった。

結局、寝たのは明け方4時を回ってからだった。

 

今後の自分のリソースの割き方を考えたり、抱えているイベントの資料を作ったりした。

こんな夜を

「この曲が好きなんだよね」と言いづらい曲がある

昨日は結局5分使い切って文章の変なところで切れてしまった。だがアレで良い。ああいうスタンスのブログで生きたいので、今日からも使い切るスタイルでいこうと思う。

 

さて、僕はGReeeeNの「遥か」が好きだ。正直大好きだ。

だが、それを押し出したことは一度もない。何となく恥ずかしいからだ。

GReeeeNなんて、元気あふれる中高生が「好き!」と言っているバンドであって、24の、しかもちょっとひねくれた男の僕が好きだと言うのは恥ずかしい。

ましてや、卒業式の定番ソングが好きなどと言ったら、「プッ!こいつ青春の余韻から抜け出せてない!」とか「良い青春おくった奴かよww」と思われそうな気がする。

 

ただし好きなものは好きで、

 

まっすぐにやれ よそ見はするな 下手くそでいい

 

のところが毎回泣ける。恥ずかしいから絶対言わないけど。

 

一方、ブルーハーツが好きなことは堂々と言える。何でだろう。

1記事5分で書くブログを始めた

僕は文章を書くと、結構凝ってしまうタイプだ。自分のメインブログでは1記事に5時間かかることも珍しくない。

したがって、素直に勢いだけで書く文章も残しておきたいな、と思ったので、全部の記事を5分で書くブログを始めることにする。

5分以内に全てを書き終えないといけないし、タイマーが鳴ったら文章の途中であってもそこで終わりとする。

 

何しろ5分しか使えないので、推敲はできない。

テーマ設定もタイトル決めも5分の中なので、何も技巧はこらせない。素直オブ素直な文章が残るはずだ。

 

さて、5分という時間が僕は結構好きだ。何もせずに待つには退屈だけど、じっくり何かをやるには少し短い。

算数で言うなら、しっかりした問題は解けないが、100ます計算ならできる。

そういえば小学生の頃は100ます計算が好きだった。あの時間に追われまくる感じが嫌いではない。

 

…さて、そうこうしている内に残り1分半なのだけど、いきなり時間が余っている。

 

時間が余ったので、素直についてのエピソードを書こう。

僕が大学生の時の同じクラスに、素直さんという女の子が居た。本名だ。

山田素直とかそんな名前だった。

僕は当時、「何とハードルの高い名前なんだ!」と思った。彼女にも反抗期が